理容タキハラからHAIRSALON TAKIHARAへ 当店の足跡
おかげさまで当店は開店、満50年を過ぎました!
1969年 昭和44年6月2日 現在の場所から1キロほど下った、国道18号線の南側になる、 上田市房山に”理容タキハラ”がオープン。 父が23歳にして、借家でのオープンでした。 ここがすべてのはじまり・・・ 1970年 昭和45年 両親が結婚 |
上の写真と比べると、タキハラのパラペット(看板)がついています。 「最初は看板さえも付けられなった」と、まったくゼロからのスタート でした・・・ 1973年 昭和48年 長女 美保誕生 1976年 昭和51年 長男 征樹誕生 |
1979年 昭和53年ごろの店内。 写真に写っているのは、母と私(当時3歳ごろ)です。 私とすると、この房山でのお店や住まいの記憶は 断片的で、写真を見てもイマイチしっくりきません・・・ そして、房山での10年を経て、現在の上田市新田に 移ることになります。 |
1979年 昭和54年 11月29日 現在の新田に住居兼店舗を建設してオープン。 当時、現在の場所は、まだ住宅が少なくて、親戚などにも 「あんなに山奥に行かなくてもいいのに・・」などと言われた父が 毎朝元気に学校に登校する子供たちの 多さを確認して出店を決意したとか。 現在は大きな住宅地となった、ここ新田も当時はまだ 静かな場所だったようです。 |
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1980年 昭和55年ごろの店内 父と私です。 やっぱり、住宅を構えることが精一杯で、 写真に写っている流しも、鏡も、赤い理容椅子も全部 房山のお店から持ってきたものです。 父はこの頃でかい借金を背負ったことで、かなり痩せたようです。 父と母が懸命に働いてくれて、姉と私を育ててくれました。 店の上が私たちの子供部屋になっていて、喧嘩をしてドタバタする音が 店によく響いたため、父に「うるさい!」と何度も怒られました・・・ |
1985年 昭和60年 理容椅子が新しくなります。この椅子が当時最高級のものの一つで、 一台当たり、軽自動車一台と同じくらいしました! 私たちの仕事の設備品は、長く使える分、高価格なのです・・・ なので、このときはまだ、流しも、そして左下の写真に写っている ガラスの棚も、オレンジ色の椅子も昔のものです。 自分にしたら、小学校の頃のお店なので、すごくよく覚えています。 そして、毎日遅くまで仕事だったため、腹っぺらかしの私や姉は 夕飯となる午後8時過ぎまで、卵がけご飯やみそ汁がけご飯を食べた のも、今ではいい思い出です。 |
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1986年 昭和61年 お店を大改装 今まではお店といえど、両親や、自宅を建ててくれた大工さんが施工して いましたが、この年に初めて店舗設計の専門である理容の設備会社 ”タカラ”の設計・施工によりお店の環境が一変します。 鏡をスライドさせると出てくる流し台。 使ったタオルを入れるスペース、お客様から直接見えない位置の スタッフ入口や流し。 お店の歴史は、本当に借金の歴史でもあります。 |
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1980年代 昭和60年代のお店の看板・時計・サインポール 偶然、母が虹を写真に収めたくて撮ったようです。 そして、高校を卒業して、この世界に入ることを決意した私は 1994年 東京の中央理容専門学校に入学 同時に東京練馬区の”ファッションヘアワタベ”に修行にでます。 |
2000年 平成12年4月 東京での6年の修行を終えて、私が上田に戻ります。 現在のお店にリニューアルする直前のお店の外観 そして、お店の駐車場の奥行きを広げたかったこと、 何よりも、私というスタッフが増えたことによる、新規のお客様獲得の ために、当店始まって以来の大リニューアルとなりました。 |
2001年 平成13年 9月 お店の駐車場を利用してのプレハブでの仮店舗営業 まだ残暑きびしい9月で、エアコンもない仮店舗の中は暑く、 椅子も2台しかなかったことから、お客様にも、 工事の音や関係者の車などでご近所の方々にも迷惑をおかけしました。 自宅兼住宅から、たとえプレハブといえど、仕事を終えたら店の 鍵を閉めて家に戻るということが妙に新鮮な2カ月間の 仮店舗営業でした。 |
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2001年 平成13年 11月23日 リニューアルオープン 今回もタカラスペースデザインの設計・施工でした。 私にしたら、設計、設備選びなど、すべて関わったことなので、感無量でした・・・ この年、父は理容組合の県の理事や、自治会の部長などを仰せつかった時期と重なり、 そこに来ての店舗改装だったので、これまた大変な時期でした。 今までの駐車場の奥行きを広めたことで、店舗が狭くなり、住宅の台所部分だったところが店舗と なりました。構造上抜けない柱や住宅の階段があることを理由に、店舗内が二つの部屋に別れる構造 となりましたが、両親世代のお客様と、私のやらせていただく世代のお客様、 それから女性の方のお顔剃りなど、店舗内が区切れられたことで、半個室状態になったことで 互いの視線を気にすることがなくなり、かえって功を奏す形となりました。 |
おまけ 1960年代 昭和40年代 父が長野市で職人をしている頃 わかりづらいですが、下の写真には、湯沸かし器がついている 流しが見えます。当時はお客様に移動していただいて、普通の 流しで頭を流していたようです。 レザーを使う時に使う、皮のストラップや、年代を感じるドライヤーも。 貴重な写真です。 |
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1969年 昭和44年に父が開業してから2019年の6月で満50年を迎えることができました。 このウェブページと同じものを店内にも表示してあるのですが、本当にありがたいことに 今でも開店当時の写真を見て懐かしんでくれる50年来のお客様が何人もいらっしゃいます。 私自身が生まれる前からお店を知る方、姉や私がお店をチョロチョロしている頃からお店を 知っている方。新田に移ってからの40年来のお客様。それから今のお店に改装してから 通ってくださるようになったお客様、ホームページを見てきてくださるお客様。 そんなお客さま方に支えられて今があります。 家族3人の小さな床屋ですが、それぞれの特色を生かしながら ”まじめにコツコツが一番”の父からの考えのもとで営業しています。 この先何十年も皆様にごひいきにしていただけるお店を目指して頑張ってまいります。 これからも”理容タキハラ”を、”ヘアーサロンタキハラ”をよろしくお願い致します。 |