[4日目:ハノイ]
3/27(水) ハノイ市内 ホーチミン廟 軍事博物館 観光(Brother HT泊)


 フォー(米の麺)の店が多いレヴァンフー通りに行く。人気のある店は、店からはみ出した客用にテーブル(保育園
で使うような背の低い椅子と机)を出して歩道を塞ぎ、更に道路の端にはバイク・自転車がいっぱい止めてあって混
みすぎて近寄ることも出来ない。美味しいことは間違いないのだが、地元の客を押しのけ入るわけにはいかず諦めた。
  近くのやや空いている店マイアンで『フォー・ガー』をたべた。

  そこからグエンズー通りをハノイ駅に向かって、ホーチミン廟まで歩いていった。通りを横切るときは、信号がある
場合でもバイクは無視してくることも多いので、来るバイクを見ながらゆくり渡ると上手くいく。駅前の通りは交通量
も多く渡るのが大変。無事10時過ぎにホーチミン廟の手荷物預かり所についた。ここでカメラ、荷物を預け4000ドン払
ってパンフレットをもらう。入場料は無料。長蛇の列で、見るまでに40分以上かかった。最初近くの列に並んだが、し
ばらく進むと追い返された。戻って手荷物預所で聞いても並ぶ場所がわからなかったので、荷物を取りに戻った観光客
に聞いてようやくわかった。列はベトナム人と外国人の二つがあり、ベトナム人の方はホーチミンの遺体の内側を回り、
外国人は外側を回る様になっていて、ホーチミンの遺体に万が一でも手出しできないようにしているということがわか
った。
  見学の終了時刻が近づいていたため、外国人の列が短くなり、ベトナム人の列は青少年の団体で列が長くなり、外国
人の列の最後がわかりづらくなっていた。廟の中は遺体の四隅に銃剣を担いだ兵士がい、微動だにせず見守っていた。
外は蒸し暑かったが、中は薄暗く、エアコンが効いているが、少し涼しい程度の室温であった。遺体は瑞々しいとはい
えないが、風貌がわかる状態でした。零にどこに行きたいか聞いたところ、軍事博物館が良いと言ったので、まず近く
のレーニン像を見て行くことにした。ホーチミン廟には大勢の青少年がバスを連ねて来ていたのに、レーニン像の前に
は私たち親子以外誰もいなかった。後からシクロのおじさんが1人、客引きのために来ただけだった。シクロのおじさ
んはもうすぐ閉館時間だから、昼食後行った方がよいとしつこくシクロに乗ることを薦めた。目の前だったので軍事博
物館に行った。大人は10000ドンで、子供は無料であった。『地球の歩き方』によればカメラの持ち込み2000ドンと書
いてあるがいらなかった。中にはいると一般の観光客もいるが、青少年の方が何倍もいた。ディエンビエンフ−の戦い
等の抗フランス闘争関係の歴史展示、1975年に最初に南ベトナム大統領公邸に入場した戦車等のベトナム戦争の記念展
示が目に付いた。対日関係のものもあったような気がしたが、対中国関係はなかった。
 昼食と明日からのサパツアーの準備にシティマートで買い物して、ポアンキエム湖の南端近くにある『サイゴンさく
ら』で夕食を済ませた。




 マイアンの『フォー・ガー』(大):鶏肉と鶏肉団子、名前のわからない野菜、麺、スープが
調和しており、美味しい。最初、量が多いかなと思ったが問題なく全て食べることが出来た。
 日本のブロイラーと違い鶏肉の味は濃く、それを野菜が和らげ、スープは塩辛くもなく、
麺は意外とこしがある。フォー・ガー大(10000ドン)2つ、揚げパン、1.5Lミネラルウォータ、
ペプシコーラで30000ドンであった。揚げパンは1個ずつ食べ、隣に立っていた女の子にあげた。
隣の客が残した揚げパンを女の子2人で取り合っていた。社会主義国とは思えない貧富の差がある。




ホーチミン廟:手前の列が外国人列、奥がベトナム人列、出口は写真に向かって右側、
庭に出る。近くにはホーチミンの家、ホーチミン博物館、一柱寺があるが行かなかった。
 


下の写真とは対照的に誰もいないレーニン像、マルクス・レーニン主義
より民族主義色の濃い教育政策のあらわれと思われる。
 


屋外には戦車、戦闘機、装甲車、ミサイル、ベトナム戦争時米戦闘機を撃ち落とした
残骸が展示してある。小学生か中学生を乗せたバスが何台か駐車してあった。



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Last modified: Fri Jan 03 15:55:36 2003