3/30(金) ポカラ市内(Pokhara museum、
Annapurna Natural History Museum他)
Board Walk Gest House泊     

朝遅く起きて、『SNOW LAND』に朝食を食べた。
simple braekfastというメニューで目玉焼きとジャガイモ野菜の炒め物、
パン、ミルクティーで90Rsは安い。この炒め物は実によい味だった。

 朝食後、自転車を借りにいった。今日はこれでポカラ市内をまわる予定。
GHに戻り、身支度を整えて出発。まず明日使うGreenBus乗り場の確認にいった。
そこから引き返して、ポカラ博物館に向かった。30分も乗らない内に尻がいた
くなった。日本の自転車には付いているサドルの下のバネがなくタイヤからの衝
撃が直接尻にくる。しょうがないので、しばらくサドルを使わず乗った。


 

ペワ湖沿いの道を外れると舗装がはがれたでこぼこ道で、自転車を乗るのも大変だ。
それに暑いので道路の脇にある寺院の木下で休みながら博物館に向かった。
 


 

ポカラ博物館の入場料は一人5Rsで、カメラの持ち込み料が10Rsになる。庭は綺麗
だが、中身の展示物は今一歩というところであった。展示も多分年がら年中同じ物
であろうと思われる。10Rs払ったのでデジカメで何枚か撮った。
 
 


 

下の写真の弓は、握るところから上下非対称に見えるが弓が折れているためで、
折れていなければ、蒲鉾型に対称になっている。タイの国立博物館であった展示
されている弓も蒲鉾型の対称であった。弓道教本に書いてあるように非対称なのは
和弓だけかもしれない。


 

外に出て私は、庭で昼寝をした。零は庭で蟻とかバッタを観察していたらしい。
話し声で目が覚めた。現地人にしては顔の締まりがなく軽そうだと思ったら、
日本人だった。

次のPrithvi Narayan CampusにあるAnnapurna Natural History Museumに向かっ
た。学校らしきところに近づいたので、現地の警察に道を聞いたがPokhara museum
の方と勘違いして何度か引き返した。しょうがないので、本を持っている女子学生
に聞きながらキャンパスの入り口までたどり着いた。

 キャンパスの入り口には、たぶんマオ派の共産党のポスターがべたべた貼ってあ
り、大学に来た感じがした。これじゃ現地の警察もここに行かせたくないだろうと
思った。Natural History Museumを探しに自転車でキャンパス内をまわった。
 コンピュータ センターもある。学部もいくつかありキャンパスは結構広い。女
子学生に博物館の場所を英語で聞いたら、英語が苦手らしく、英語のできる男子学
生を2人を連れてきてくれた。場所を聞いたら、多分しまっているかもしれないが
一緒に行こうと言ってくれたのでついていった。親切にもなかまで案内してくれ、
ネパールの国鳥の剥製とか、引き出しをあけて鳥や小動物の剥製、蝶の標本とか見
せて説明してくれた。

 ここは無料なのだが、展示物はPokhara museumより興味がもてた。博物館の出口
で写真を撮っていると空が暗くなり、少し雨が降っていた。急いで宿に帰ることに
した。途中風が強く砂が顔に吹き付け、大変だったが、下り坂が多いため、行きよ
り早く宿に着いた。

 GHでしばらく休んで、遅い昼食を食べに出た。近くのいかにもアメリカ風のレ
ストラン『Bistro Caroline』に行った。私はオレンジジュースとApple Scramble 
cake、零はチキンサンドイッチを頼んだ。昼食時の時間が外れていたので出来るま
で時間がかかった。頼まなかったトーストが出てきたので、零に後からチキンと野
菜が出てきてサンドイッチを自分でつくるんだよと説明した。しかしお腹がすいて
いるのですぐに食べた。しばらくすると予想外に大きいサンドイッチが出てきて零
は満足した。Apple Scramble cakeの方もおいしかった。 このレストランの庭が
綺麗で、庭に面した湖には大きな木がたっており、その木に何百匹もの白い鳥がと
まって木の上が白くなっていた。


 

昼食から帰ってきて洗濯をして風呂に入り、寝た。零を起こして『古都』に夕食を
食べに行った。すき焼きとすき焼きセットを頼んだ。そうすると肉はチキンかポー
クかビーフのどれを選ぶか聞いてきた。すき焼きという以上牛肉以外ないが、ここ
はヒンドゥ教で牛は神聖不可侵なはず、本当に牛が出てくるか不安もあった。ガイ
ドブックに寄ればビーフといってもバフ(水牛の肉)がでてくる店もあるらしい。
 今まで食べた古都の料理は、日本の物と全く同じで水準はかなり高い。古都の客
は日本人もいるがそれ以上に欧米系の観光客が多い。しかし、すき焼きは違った。
こんにゃくはなく春雨みたいな物の代用品であった、牛はぱさぱさしていて美味し
くなかった。現地人が食べない牛の料理なのでしょうがないかと思った。


リンクはご自由にどうぞ。

小林博正

Last modified: Wed May 23 18:56:43 2001